私たちの中の私の話

模索
古舘伊知郎氏が「格差社会」を語る気味悪さ(池田信夫 blog)を読んで、私たちの中の私について考えてみた。

景気が悪くなると、まっ先に切られるのが非正規労働者です。こういう人々の痛みを私たちはどこまで知っているのでしょうか。
「私たちの中の私」がそう感じるので、「私たち」を「私」に変えてみても良いはずだ。
景気が悪くなると、まっ先に切られるのが非正規労働者です。こういう人々の痛みを私はどこまで知っているのでしょうか。
池田Blogの記事のとおり、古舘氏が痛みを知ってるとは思えないのはそうであろう。不愉快さを感じる人はこの矛盾(偽善)が嫌なのだと思う。

実際、私も古舘氏のコメントがいつもこんな感じで、共感を強く人に求めるのが嫌で、「報道ステーション」はほとんどみない。古舘氏のコメントがなければ、是非みたい番組なんですがね(^^;

私たちの中の私を考えると、世の中は、「共感」を重要視するように変化してきてるのかもしれないなと思う。ネット上でもSNSをはじめTwitterでも、「共感」を強く求めるものが増えてると思う。

Yes,we canとかも、その一種なのかもしれないなと思う。

みのもんたが大げさに憤ってみせるコメントをする番組の朝の番組のほうは私はみのもんたが嫌いだけど、すんなりみることができる。みのもんたの場合は、みのもんたもそう感じてる事を私たちの中の私という切り口をつかって表現するから、許せるのかなと思う。
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