人格と行為は本当に完全に分離できるのか?

「罪を憎んで人を憎まず」という論理が世間一般に通りにくくなってる現状で、人格と行為を分離して考えられる人はいるのだろうか?と思う。

行為の批判は、本当に人格の批判ではないのか?原因と結果が密接に関連しているように、人格と行為も密接に関連している。しかしながら、原因が「運が悪い」と言う理由で結果が出るときもある。だから、この場合は原因は不確定になる。密接に関連しているように見えて、実はそれほど密接ではない。だから、文章をゆるくかけば、行為の批判に見せかけて人格を否定することも可能だし、また受けて側も行為の批判を人格の批判と捉える傾向が高くなるのは仕方がないだろう。

僕の考えだと、人に理解されないなら、自分自身は人を理解できるような人になろうと考えるが、人に理解されない人たちすべてがそう考えてるわけではない。


[コミュニケーション]キモイって言われて傷つきましたって泣くのって、自ら「オタク」を否定してなくね?

否定してません。誰が間違ってるといっても、僕は否定してないと思います。

[批評もどき]「キモい」についてみんなもっと真剣に考えるべきだと思う。 (風が吹けば本屋が儲かる)
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