・再交渉としての不況(池田信夫 blog)
たぶんだけど、金利を下げると貸出が増えるのか と上記2つの記事を読んで、ゼロ金利と言う状態がどういう状態であるのか分かった気がする。
via:金利を下げると貸出が増えるのか
マクロ経済学の教科書的には、政策金利を下げると資金供給曲線が下方にシフトして均衡での資金供給が増加するということになっている。しかし金利はゼロより低くなりようがない。そこで流動性の罠だとかデフレとかいう話になるのだが、本当にそうなのだろうかと疑問に思う。セロ金利がどうこうと言う人は、中小企業がいくらでお金を借りているかを考えたことがあるのだろうか。ゼロ金利という言葉が一人歩きしているが、たとえ政策金利がゼロであっても、中小企業がお金を借りるときの金利がゼロであるはずがない。政策金利が0.25パーセンントであっても、貸出金利の上限が29.2パーセントから15パーセントへと引き下げられる過程で貸出残高が減少したり、消費者金融業者が倒産したりするとなると、リスクプレミアムが年利20パーセント台であると推定される。政策金利の数パーセントの変動よりもむしろ、リスクプレミアムの方が資金供給に影響するのではないかという気がする。もちろん金利を調整することによる微調整の効果まで否定するつもりはないが、微調整の域を越えた現象に対する効果については懐疑的である。
景気が悪くなると企業、とりわけ中小企業の倒産のリスクが高くなるので、リスクプレミアムが上昇する。そのままだと資金供給が減ってしまうので、政策金利を引き下げる。しかし政策金利の下限はゼロなので、それ以上下げようがない。政策金利がゼロであっても貸出が増えないと、「きっとデフレに違いない」ということで物価を上げようという考えが出てくるが、もし本当に物価が上昇すると、貸出金利の法定上限が一定である以上、今度は実質金利がリスクプレミアムを下回ってしまい、資金供給が滞る。もちろん、景気が良いときならリスクプレミアムも低いだろうから、そのようなときに物価が上昇するのはさほど問題ないだろう。しかし景気が悪いときに物価を上昇させると、それは資金供給に悪影響を及ぼすのではないだろうか。法定上限金利が15パーセントになればなおさらである。この限られた範囲にリスクプレミアムを納めるようにすることが求められるが、リスクプレミアムが実体経済に依存する以上、金融政策にできることは限られているのではないだろうか。
バブル崩壊で資産価値が減少し、「あるはずのお金がない」というバランスシート型の不況になった場合には、「お金を再び作り出す」というのが効果的な施策で、「お金の量」というのはすなわち「貸出残高」のことだから、金利を引き下げて貸出を増やそうとするのだが、上記の理由により、その効果には懐疑的である。貸出が増えない状況で金利を引き下げるということは、既存の債権者から既存の債務者への所得移転に過ぎず(少なくとも帳簿の上では)、国民経済全体で所得が増えるわけではない。しかし、貸出が増えない状況で、既存の債権者を犠牲にしてまで既存の債務者を救済することに意味があるのだろうか。
そもそも不況の意義は、淘汰されるべき企業が淘汰され、その資源が他のビジネスへと解放され、新しいビジネスが創出されることにある。せっかく新しいビジネスのチャンスがあっても、そのための資源を他に取られていては実現できない。そういう意味では、貸し倒れリスクの高すぎる企業への資金供給が止まること自体を妨げる必要はないかもしれない。バランスシート型不況のもとでは、どうあがこうとも、どこかの会社が破産することを避けることはできない。ではどの企業が淘汰されるかといえば、リスクプレミアムが上昇し、その結果として金利の引き上げまたは融資の引き揚げが生じるような企業である。淘汰されるべき企業に対しては金融緩和でなく金融引き締めで対処すべきなのである。ただし、リスクプレミアムは市場で決まるので、政府が金融緩和をするのと無関係に、淘汰されるべき企業に対する金融引き締めが進むことになる。そういう意味でも金融政策にできることは限られている。
淘汰されるべき企業が淘汰されることを所与として資金供給を増やすとなると、起業を促すしかない。すなわち、既存の債務者から潜在的な債務者へと資金を移転する必要がある。融資する場合には法定上限金利の制約があるが、株式の上場益には上限がないから、そういう意味でも、本当にリスクのある事業に投資するなら、リターンも大きい方式の方が望ましい(グレーゾーン金利の撤廃によってそういう動きが出てくるかどうかは疑問だし、そもそもグレーゾーン金利の撤廃にそういう意図があるかどうかも疑問だが)。しかし口で言うのは簡単だが、実行するのは難しい。なぜなら、起業というのは最もリスクの高い分野なので、既存の会社にお金を貸せない状況で、ベンチャー企業に出資するというのは難しいからである。さらに、実体経済では「淘汰されるべき企業が淘汰される」で済むが、会計上は、残った企業が体力の許す範囲で時間をかけながら損失を計上していかなければならない。そのうえ、ベンチャー企業が利益を出すまでには時間がかかる。お金を出す側にとっては、財務的にかなり厳しい状態で出資しなければならないから、リスクに対する許容度の限られた中で、目利きによって出資していかねばならない。これはとても困難なことである。
お金を貸すのが難しいということは、お金を借りるのが難しいというのとほぼ同じである。なぜなら、お金を借りるためには、お金を借りる側が、お金を貸す側に納得の行く根拠を提供しなければならないからである。したがって、有望な投資案件がなかなか見つからない状況では、資金需要がないとも言えるし、資金供給がないとも言える。その結果、非効率的なセクターから有望なセクターへの資金と資源の移転が進まずに、全要素生産性(TFP)が低いままになる。
新しいビジネスを興すことはただでさえ難しいのに、国がやってきたことといえば、新興勢力を潰して既得権益を保持することばかりである。資産バブルを起こせばお金が足りなくなることはなくなるが、非効率的なセクターからの資金および資源の移転が起こらないし、過去に不良資産を保有した勢力を救済することにしかならないので、当座は凌げても、根本的な問題は解決しておらず、いずれまた同じ問題が起きるだろう。通常、ベンチャー企業というのは資産を持っていないものなので、資産を持っている人を優遇しても新しいビジネスを興すことには貢献しない。それに、不良資産を掴んだような人にお金を持たせても、目利きとしての機能を期待できない。せめて、お金の使い道のわかる人にお金が移るような仕組か、あるいはお金の使い道のわかる人がお金のある所に行ける仕組があればよいのだが。
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