英語を必要とせず日本語だけで高等教育(高等学校教育)まで教育を受けれることが当たり前のことだと思ってる人たちもいるだろうが、実際には母国語で高等教育を受けれることは幸せなことなのである。多くの国では母国語だけで高等教育を受けれないと言う現状が存在する。「母語 数学」「数学 母国語」などでググればたぶんそういう情報が出てくるであろう。マーシャル諸島共和国派遣10周年記念企画 隊員座談会 マーシャルの算数・数学教育事情とかとりあえずヒットした。まあ、数学なんて生活していくうえで必要かどうか微妙なラインであるのは確かであろうと思う。でもって、明治時代の人が頑張ってくれたおかげで、私たちは日本語で高等教育を受けられるのは事実である。
一例を上げる。「数学を学びましょう」。これを数学の言葉で言うことは可能か?
Whenever you ‘want’, you don’t make sense — at least when you start wanting it.
なぜ数学だけでは駄目なのか/Why math is not enough(404 Blog Not Found)
本当は可能なんじゃないかなと思うけど、説明できないので、哲学書辺りを読んでいただきたい。でもって、なぜ数学だけじゃダメなのかというのは、そのままなぜ英語だけじゃダメなのかにすりかわっても問題なさそうな。とりあえず、私が生きてる間になくなるということはないと思うので、どちらでも良いんだけどと思う。英語で統一された世界というのもそれはそれで不気味だと思う。中国人がいて中国語が存在し、漢字が残ってる限り、大丈夫じゃないかなと思う。多様性がもたらす効果から考えても、一見非効率に見えても、多様化しているほうが人類にとってもよさそうには思う。
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哲学の教科書 (講談社学術文庫) 中島 義道 |


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