遂に「復活」上巻を読了。下巻に入ったところ。を読んで、夏目漱石の「こころ」と同じ感触をした。夏目漱石の方は青空文庫にあるので検索して引用すると
上巻の最後の方に、特に興味を惹かれた主張があったので、転載しておく :
世間に最も広く流布されている迷信の一つは、人間というものはそれぞれ固有の性質を持っているものだということである。すなわち、善人とか、悪人とか、賢人とか、愚者とか、精力的な者とか、無気力な者とかに分かれて存在しているという考え方である。だが、人間とはそのようなものではない。ただわれわれはある個人について、あの男は悪人でいるときよりも善人でいるときのほうが多いとか、馬鹿でいるときよりもかしこいときのほうが多いとか、無気力でいるときより精力的であるときのほうが多いとか、あるいはその逆のことがいえるだけである。かりにわれわれがある個人について、あれは善人だとか利口だとかいい、別の個人のことを、あれは悪人だとか馬鹿だとかいうならば、それは誤りである。それなのに、われわれはいつもこんなふうに人間を区別しているが、これは公平を欠くことである。人間というものは河のようなものであって、どんな河でも水には変わりなく、どこへ行っても同じだが、それぞれの河は狭かったり、流れが早かったり、広かったり、静かだったり、冷たかったり、濁っていたり、温かだったりするのだ。人間もそれとまったく同じことであり、各人は人間性のあらゆる萌芽を自分のなかに持っているのであるが、あるときはその一部が、またあるときは他の性質が外面に現われることになる。そのために、人びとはしばしばまるっきり別人のように見えるけれども、実際には、相変わらず同一人なのである。なかにはこうした変化がとくにはげしい人もいる。via:読書メモ(黎明日記)
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚(しんせき)なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」人間、行き着くところは同じ感覚なのかもしれないなと思った。
via:夏目漱石(こころ)
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