姉との絆はずっときれないけど、他人とのつながりは手を離すとそれで終わってしまう
そうなんです。だから、どんなに傷づくのが怖くても、他人とのつながりが大事だと思うのなら、がんばってください。
欲しい物は、欲しいとハッキリ言わなければ、手に入らないのよ
なんでも、はっきり言ったほうがよいです。
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「罪を憎んで人を憎まず」という論理が世間一般に通りにくくなってる現状で、人格と行為を分離して考えられる人はいるのだろうか?と思う。行為の批判は、本当に人格の批判ではないのか?原因と結果が密接に関連しているように、人格と行為も密接に関連している。しかしながら、原因が「運が悪い」と言う理由で結果が出るときもある。だから、この場合は原因は不確定になる。密接に関連しているように見えて、実はそれほど密接ではない。だから、文章をゆるくかけば、行為の批判に見せかけて人格を否定することも可能だし、また受けて側も行為の批判を人格の批判と捉える傾向が高くなるのは仕方がないだろう。
僕の考えだと、人に理解されないなら、自分自身は人を理解できるような人になろうと考えるが、人に理解されない人たちすべてがそう考えてるわけではない。
■[コミュニケーション]キモイって言われて傷つきましたって泣くのって、自ら「オタク」を否定してなくね?
否定してません。誰が間違ってるといっても、僕は否定してないと思います。
追加 2009/11/29
[批評もどき]「キモい」についてみんなもっと真剣に考えるべきだと思う。 (風が吹けば本屋が儲かる)
神話アンパンマンのオープニングをよんで、一連の記事を少し見てみたけど、難しすぎてなんのことやら・・・。
・「アンパンマンのマーチ」での「胸の傷」の意味 ・アンパンマンの胸の傷・・・・・? ・道徳「アンパンマンの心」
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やなせたかし
バップ 2006-12-06 おすすめ平均 |
アニメでみたのだが、素直によかった。「水から伝言」とかと同じ概念ぽいけど、まあそれはあまり考えないことにして・・。電脳コイルもいいなと思ったが、電脳コイルよりこちらのほうが、電脳空間と現実空間の融合が現実っぽいなと思った。電脳世界にダイブするのが、海にダイブするのと同じ感覚で描かれているのでイメージしやすかった。
とてもよいし、ハッピーエンドなんだけど、何がよかったか忘れてしまった。感動の押し付け感も全然無く、こういう考えがあるけど、あとは自分で考えてみたいな感じで、微妙な距離感を取ってくれてるのでよかったと思う。
電脳エリアをメタルとかよんでた。メタルは海をイメージして作られたものらしい。
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プロダクションI.G
バップ 2009-05-22 おすすめ平均 |
みんな嘘つきだ。俺のことに関心があるなどといっても、それは相手が一方的に俺をウォッチしているだけのことで、別に俺自身のことなどどうでもよいのだ。俺が如何に精神的窮地に陥ろうとも誰も俺を助けない。この社会にいる全員が俺を助けない。
みんな死ねばいい。この世など終わればいい。そうすれば千年の国がやってくるのだから。そうしないと、私は救われない。地上に、有限の他者に、救いなど決してありはしない。
http://d.hatena.ne.jp/scinfaxi/20090317
私は、人は人を救えるだけの力を持ち得ないと思ってるので、あまり誰かに助けてもらえなくても、それが当たり前だと思うことにしている。
実際問題、人を救いたいと思っても、なかなか難しく、結局は何もできずに終わることも多い。でも、何もできずに終わることがわかっていても、人は手を差し伸べてくれるとは思う。
人生の時間を、縁のある、気のあった他人と少しずつ共有できることができたら、それは大きな幸福だし、成功なのだと思えばいい。しかし、その基本には、一人で生きる姿勢が必要なのである。
この本はお勧めですよ。
人生の後半をひとりで生きる言葉
曽野 綾子
人をうらやましがっても自分は変わらないし、嫉妬しても自分がよくなるわけじゃない。
人は人。自分は自分。
人には人のよいところがある。
自分には自分のよいところがある。
それを認めるのが大事じゃないかな。
人には人のよさがあって、自分には自分のよさがあるんだってことを認めたら、すごく楽になると思う。
人をうらやましがっても自分は変わらないし、嫉妬しても自分がよくなるわけじゃない。(かみんぐあうとっ )
人をみて嫉妬する人は、嫉妬するのは変えれなくても、「爽やかに」嫉妬してはどうかなと思う。嫉妬する方向を少しずらすだけで、周りにとってもあなたにとってもよい方向に向くようになると思う。また、周りに居ないだろうか?爽やかに嫉妬する人が。あの人がいうと、さっぱりとしてすがすがしいと感じさせてくれる嫉妬だ。そういう人がいれば、真似しましょう。
人と比べることをやめることで一時的には気持ちが軽くなるかもしれないが、一生、人と比べないで生きていくのは多分不可能だろうと思う。なぜ不可能かというと、あなたの存在自体が他者との係わり合いによって絶対化されているからだ。この状態で、他者との係わり合いをとってしまったら、あなたの存在自体が揺らいでしまって、かえって精神的に不安定になることも考えられます。
次に考えられるのは、嫉妬という負の感情も自分自身の一部だと認めて、自分自身で受け入れてあげることが大事だと思う。ここで、負の感情だから消そうとか拒絶しようとかすると、あなたの自我が不安定になると思う。
それに気がついているから、もう私は生きづらくはない。「きつく」はあっても。
生きづらい = 否定すべき権威が見つけづらい(404 Blog Not Found)
違うよ。全然違うよ。(弾氏風)
社会がある意味成熟してしまったので、何が正しくて何が正しくないかがある程度明確化されてる状況下で理不尽なことを許容するのは大変難しいしまた折り合いをつけるのも難しい。だから、「生きづらい」んじゃないかなと思う。「僕は僕のままでよいのかもしれない、そうだ僕は僕でよいのだ(EVA風)」みたいな自己確立もなかなか難しい。確かに「権威」というものは、僕という存在を相対化させ絶対化させるのに便利なものだが別にそういうものがなくても自己確立が可能である。日本人は無心論者が多いので、神と言う存在をつかわなくても自己確立ができている。神を用いて、自己確立している人たちにとっては不思議にうつる。
話を戻すと、自己確立ができたとしても、「生きづらい」というものからは逃れられないと思うので、権威や自己確立についてはなしても仕方がないと思う。
権威を肯定する場合にも2つあると思います。権威と同一化することで肯定する場合と権威の奴隷になることで肯定する場合です。弾氏には、奴隷になるというのが抜けてるんだと思います。肯定=奴隷になるとしたら、権威を否定するより辛いことかもしれません。
弾氏の書評は、映画の批評のように1つのエンターテーメントなんだと思います。本の中身を本当に紹介してしまったら、その本を読む気にさせずかつ本を読んだときに新鮮な驚きを消しまうので、あのような形に「結果として」なってるんだと思います。私は、本当に弾氏の書評をよんで本を買っている人たちがいることが信じられないので弾信者の人のBlogを見てみたいと思います。ご存知の方教えてください。
弾氏の考え方が、どんな本を読んでもぶれないというのは、年寄りだからです。年寄りを説得するのは至難のわざが必要です。どんな論理的につめても、説得はほぼ不可能だと思います。また年寄りは、褒められることに非常に弱いので、説得したかったらまずはべた褒めすることです。つまりは、説得はできないけど、「理不尽さ」を受け入れていただき表面上だけでの納得をしていただくという手法です。
私もどちらかというと年寄りなので、説得は無意味です。
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人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫) 中島 義道 |
一般論という極論(404 Blog Not Found)をよんで、「僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい」という人種は考慮されていないような気がした。「僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい」と思ってるのは、私自身だ。たぶん、一般的には自己愛のゆがんだ形なんだと思う。弾氏とかは、自分が大好き人間だから、その方法で解決できるかもしれないけど、そうでない人たちは解決できないと思う。「非コミュ」「非モテ」のジレンマというのはこういうところにあろうと思う。このジレンマにマチョな人の考え方を導入してもあまり意味がないのである。
私は人とかかわったら他人を傷つけてしまうという恐怖をいつももってるし、同時にそのことによって自分自身が傷つく事にも恐怖を抱いている。でも、人とかかわる限りは、人を傷つけないことは不可能なので、傷つけてしまったらそのときに考えようという考えを導入している。でも、自分が傷つくのは「心が痛い」ので、その考えを導入しても、人とかかわるのは恐怖を伴う。「非コミュ」「非モテ」の人の一部に私と同様の人が存在するだろうとは思う。「僕は僕が嫌いだけど、僕は僕が好きでありたい」と思ってる人は絶望する必要はない。
世の中、いろんな考え方が存在して、いろんな正解があろうとは思う。
「めでたくもあり、めでたくもなし」
http://hukumusume.com/douwa/pc/jap/12/19.htm
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「嫌いな自分」を隠そうとしてはいけない Debbie Ford 小林 由香利 |
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