リーマンショックは誰の自己責任?

ぼくは、「社会」って、2つの意味で使われるときがあるんじゃないかなって思うんです。ひとつは、いわゆるふつうの本来の「社会」。もうひとつは「自分を含まない社会」(“世界”ってことばもそうですね)、それについて語るために自分を特権的に外側に置いた「社会」です。2つ目は自己言及的になっていますが、この2つ目の意味の「社会」に独立したことばが割り当てられていないこと、1つ目の意味で語るべきところで無自覚的に2つ目の意味で語ってしまうことが、オマエの慎みのなさの原因のひとつであるような気がします。そのようにして、「自己責任ではない!」と叫ぶことによって、オマエもまた同様に責任を逃れようとしているのではないのか?と。
自己責任じゃないならなんだってんだ (「で、みちアキはどうするの?」)




リーマンショックは誰の自己責任でしょうか?なぜ、派遣村の人たちばかり自己責任論を押し付けられ、リーマンショックの原因となった人たちの自己責任は追及されないのでしょうか?

それは単に、権力を持っている、財力を持っている違いだと思います。派遣村の人たちの自己責任を追及するよりもリーマンショックの原因を作った人たちの自己責任を追及するほうが意味があることです。

社会に原因があるのなら、その構成員としても「私」にも責任があるのではないか?というとそのとおりです。この場合、社会に責任がなく「私」にのみ責任があるとする自己責任論と、社会に責任がありその構成員の一人として自己責任があるとでは、責任の重さも種類も違います。

また、自己責任と自業自得とはまた違うという点も理解する必要はあると思います。

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