縦書き文化とマンガについて

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世界的にも、公文書で独自の年号しか使わないのは北朝鮮の「主体暦」だけで、左横書き以外の書式を使っているのは、アラビア語とモンゴル語しかない。本家の中国には、ハンコはまだあるが、元号も縦書きもない。いまだに政府のデータやマスメディアがこういう混乱した形式になっているのは、日本がガラパゴスを通り越して「北朝鮮化」する状況を象徴している。
via:ハンコ・元号・縦書きをやめよう(池田信夫Blog)

縦書きについて

縦書きは、漫画がある限り廃れることはなかろうと思うので、縦書き文化が消えるのは当分の間は大丈夫だと思う。手元の本で確認したけど、確かに縦書きです。奥さまはニューヨーカーという漫画を見てみると、英語の部分は横書き、日本語は縦書きになってますね。意識して読んでみるとコマ割りとかも、横書きが混ざる場合は工夫されてますね。ちょっと読みにくいなと思っていて、それは英語が良く分からないからかなぁと思いましたが、横書きが読みにくいということに気づきました。




横書きが読みやすいのは、横書きをある程度意識された物である必要があるように思える。たとえば、青空文庫で、夏目漱石のこころを横書き縦書きでよんで見た場合、どうでしょうか?私の場合は、明らかに縦書きが非常に読みやすいのですが、私が若者でないからかどうかはわかりません。

上記の前提が正しいとすると、横書きには横書きにふさわしい文章を書かないと読みにくい。そうすると、「横書き」は文化なので、縦書き文化を残すと共に、新しく横書き文化が新しくできることになると思う。単に既存のものを横書きにしてもだめなのだ。

元号について

非効率なのは事実だと思います。この非効率なところで、日本のシステム屋さんが恩恵をこうむってる部分もあるので、なんとも言いがたいです。これも文化の問題になるのじゃないかなと思います。昔、元号を西暦にしてはどうかという議論があたっときに、西暦は、キリスト教暦なので世界で普遍的なものでないという主張も見かけましたし、事実そうだと思うのでどうなんだろうと。

ハンコ

印鑑証明をとったりしてて思ったのだが、本人確認のために印鑑証明を取得する行為って無駄だなとおもった。

非効率がもたらすメリット

非効率だから変えましょうというときは、非効率がもたらしていたメリットについても考えた方がよさそうに思う。でもITの恩恵を受けている人たちには、非効率がもたらすメリットなんかないと言われそうですが・・・。
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